「ユース昇格できなかった少年」が夢を諦めなかった
2005年3月26日、東京都に生まれた塩貝健人は、幼少期からボールを蹴り続けた。バディSC江東でサッカーの基礎を学び、横浜FCジュニアユースへ進んだ。ここで彼は最初の挫折を経験する。中学卒業時、横浜FCユースへの昇格を果たせなかったのだ。
多くの選手がそこで夢を諦める。しかし塩貝は違った。國學院久我山高校へ進学した彼は、高校サッカーの舞台で静かに数字を叩き出した。シーズン通算では公式戦14試合出場・9ゴール。ヨーロッパのスカウトたちは見逃さなかった。
移籍金18.5億円——20歳以下日本人史上最高額でブンデスへ
2026年1月20日、VfLヴォルフスブルクへの移籍が決定。移籍金は推定1000万ユーロ(約18.5億円)。20歳以下の日本人選手としては史上最高額だ。背番号は「7」。かつて長谷部誠がプレーしたクラブで、塩貝健人は新たな歴史を刻もうとしていた。
「あとはゴールだけ」——ブンデスでの葛藤と本音
移籍後、塩貝はGoal.comの取材でこう語った。「一回も招集歴がないので、もう誰も文句が言えないぐらい結果を残さないといけない。同世代の選手が何人も(日本代表に)入っていて、すごく悔しさや焦りはあります。でも、自分も結果は出してきた。本当に、あとはゴールだけだと思っています」。
その言葉どおり、塩貝はブンデスリーガの舞台でゴールを積み重ねていった。
そして、代表の扉が開いた
2026年3月19日、JFAが発表したイギリス遠征メンバー28名の中に、塩貝健人の名前があった。A代表初招集。ユース昇格を逃し、高校サッカーから這い上がり、オランダを経てドイツへ渡った20歳の青年が、ついにサムライブルーの一員となった。
森保一監督は「塩貝はゴール前での嗅覚が際立っている。年齢は関係ない。結果を出している選手を呼ぶのは当然のこと」とコメントした。
まとめ
横浜FCユースに上がれなかった少年が、わずか数年後に移籍金18.5億円でブンデスリーガへ。そして日本代表初招集——。塩貝健人の物語は、夢を諦めなかったすべての若者への希望そのものだ。
W杯本番まで約3ヶ月。スコットランド戦、イングランド戦で塩貝がどんなプレーを見せるか。彼の物語は、まだ始まったばかりだ。